REPORT

鈴鹿8時間耐久ロードレース第35回大会 決勝レポート

7月29日(日) 晴れ/ドライ

前日 メカニックによるミッション交換、メインハーネス交換、各部のチェックなど、徹夜の作業となった。 明け方に完了させ、無事にマシンをスターティンググリッドに並べる。
ドライコンディションの中、午前11時30分スタートが切られた。

●1stスティント 

スタートライダーは芹沢選手が担当。
1周目を8番手でホームストレートを通過。チームとして、それぞれのライダーが1回目はペースを抑えて燃費を稼ぐ事と、中盤に向けて確実にポジションをキープする事に気を付けて慎重に走らせる作戦だった。
3周目から芹沢選手は、順位を12位のポジションにあえて下げ、不用意な転倒のリスクを避け、無駄なガソリンを使わず作戦通りの走りを完璧にこなして行った。
ラップタイムは2分11秒台から12秒台とハイペースで危なげのない走りだった。
周回を重ねるごとに徐々にポジションを上げ24周目には6位に上げてホームストレートに戻って来た。
25周を終え、ピットインする予定だったが、車載に搭載してあるモニターからの情報をたよりに芹沢選手自身の燃費が伸びているという、高判断で もう1周距離を伸ばし、ピットに入った。
タイヤ交換と給油とピット作業を無事に済ませ、ライダーは出口選手に代わり、コースインした。
芹沢選手の 「全然余裕だ!燃費もまだ1周は回れた」 という力強いコメントが聞かされた。


●2ndスティント

続いて出口選手は1番暑い時間帯の走行に突入し、攻めたい気持ちを【燃費第一】に考え、我慢の走行を続けた。ラップタイムは2分11秒台から、13秒台で確実に刻み25周目には5位に順位を上げた。 本来27周終わりでピットインする予定だったが、出口選手も自己判断で28周まで距離を引っ張りピットインした。


●3rdスティント

ここまで実に順調で、作戦通りだった。 出口選手から井筒選手に交代するその時、井筒選手が左側のステップを指差した。ステップバーを止めているナットが緩み無くなって今にもステップバーが落ちそうになっていた。すぐに補修にかかったが、この時の作業で1分31秒余りの時間がかかり、ここまで順調に燃費走行をしていたアドバンテージが帳消しとなってしまった・・。
更に、井筒選手がコース戻り1周で緊急ピットイン。ガソリンタンクのフタがしっかり閉まり切っていなかった為だ。
井筒選手の 「しっかり閉めとけよ!」 という怒鳴り声が響いた。 すぐにコースに復帰したが、ここで1分間近くのロスが生じ、順位は13位まで下がってしまった。 この時点で、ハンディが、重くのし掛かり表彰台を狙うにはかなり厳しい状況に追いやられてしまっていた。
しかし、井筒選手は諦めず2分10秒台後半までタイムをあげラップを重ねた。 急遽6月からチームに加入した井筒選手はこのレースまで事前テストで新品タイヤを装着することはなかったが、決勝でいきなり新品タイヤを装着しても戸惑うどころか、他の2人のライダーと変わらないペースで正確にラップを刻んだ。
ピットでは、ガソリンタンクのフタから燃料が漏れ出た怖れがある為、井筒選手の周回数を縮める事を判断。
結果、周回を予定より2周減らしてピットに戻すことにした。と同時に緩んだステップのナットをもう一度確認する必要もあった。これ以上ロスはできない。 クルーはピットに待機させたスペアマシンで ナットの緩みを瞬時に確認するシミュレーションをして構えていた
。 26周を終えたところで井筒選手をピットインさせ、タイヤ交換、ガソリン給油をした後、ナットの緩みチェクし、通常より約10秒プラスでコースイン。
井筒選手から、芹沢選手に交代した。


●4thスティント

予定していた燃費走行から、完全にプッシュ走行に切り替えた。
3人のライダーが猛追を始める。
今までクレバーに走行を続けていたチームのエース芹沢選手が2分10秒台でのハイアベレージでラップを刻み続ける。ここまで芹沢選手は、自分のパフォーマンスは2の次にし、チームの、出口選手や井筒選手が乗りやすくハイアベレージで走れるマシンを作ることに徹してくれていた。 それがチームの為、自分の為になるのだと自身を言い聞かせてここまでチームを引っ張ってきていたのだ。今回のチームのマシンが飛躍的な進歩を遂げたのはそう言った彼の努力が実ろうとしていた
。 攻め続けた芹沢選手の活躍で離されていた前車との差が徐々に縮まってきた。
ピットインするタイミングで7位まで順位を上げて戻ってきた。
続いて出口選手に交代し、尚もチームの猛追は続いた。


●5thスティント

出口選手も今回乗れており、レース中のチームベストタイム2分10秒0を記録しながら、鬼神のような追い上げを繰り返した。ところが、出口の26周目に入ったところでトップを走行していた#634のマシンがデグナーカーブで転倒しマシンが炎上してしまった為、セーフティーカーが介入。 この時、出口選手の追い上げに費やした燃費は予測で27周だと思われていた為、どうしてもそのタイミングでピットインさせなければガス欠になる可能性が高く、仕方なかった・・ 出口選手が27周でピットイン。


●6thスティント

井筒選手へライダー交代し、ピットワークを終えすぐにピットを離れようとしたが、ピットクローズドとなってしまう・・。結果 セーフティーカーがコース上に2台いる後ろ側、つまり半周遅れで差が着く形になってしまい、4位とは約1周差がつく形でコースに出ることになってしまった。
セーフティーカーが解除になり井筒選手が、また下がった順位9番手から追い上げる。 これまででもハイペースな追い上げをしていた井筒選手だが、更にペースを上げ8位、7位、6位と面白いように順位を挽回していく。一方、気になる点もあった。
井筒選手は出走前に寒気がし、手がしびれていると告げていた。熱中症の恐れがあり、PITでは心配していたのだが そんな心配をよそに、井筒選手は追い上げの手を緩めなかなかった。
遂に5位に追いつくと、ヘアピンカーブ入口で5位に浮上した。
その後、抜き去った後続車も必要に食い下がるが、寄せ付ける島を与えず、井筒選手は予定していた27周回の162周でピットインしてきた。


●7thスティント

ライダーは芹沢選手に交代し、尚も前を追い上げる。芹沢選手も順調にペースを上げて最後の自分のパートを必死で責め立てた。遂に170周目に、4位に順位を上げた。すると今度は174周目に2位を走っていたチームが緊急ピットインしてリタイヤとなった。 と同時に我々は3位に順位を上げた。 残り2時間過ぎから熾烈な争いをしている#94番ヤマハフランスと我々チームの一騎打ちの様相になってきた。レースは急展開だった。
鶴田監督は 直接ピットレーンからライダーに指示する形をとった。
このとき、芹沢選手のペースが途中からやや落ちはじめていたことが気になる・・。
予定の交代周回が189周になった。
ゴールまであと50分を切ったところで芹沢選手3位のままピットイン。
グランドスタンド、チーム応援席は沸いていた。


●8thスティント

いよいよ最後のスティントを出口選手に託し、ピット作業を完璧にこなしライダー交代した。 ピットに戻った芹沢選手からは、「エンジンに振動が出ていて ヤバイかもしれない」 と告げられた。 一方、ピットアウト前の出口選手から 鶴田監督に 「僕はどんな走りをすればいいですか?」と、問いかけていた。 鶴田監督は、「出口がコースに出て前後の状況を把握してからボードで指示するから、それまで集中を切らさずペースを維持していて欲しい。」 と。 そして こうも付け加えた 「いつでもプッシュ出来る気構えでいてくれ!」 と。 出口選手は 「もちろんです!わかりました!」 とコースへ出て行った。 この時 チームのポジションは4番手。 前を行く3番手は#94ヤマハ。当然彼らも表彰台を死守する構えのハイペースでラップを刻んでいた。 出口選手のペースが上がらない・・。 2分14秒台でラップを慎重に刻んでいた。 この状況からエンジンは相当悪い様子が伺えた。 #94との差は50秒ビハインドあったが、彼らはもう1回はガス補給でピットインするため、我々との差はほとんど無い。 しかし、2分12秒台で逃げる#94に対し 2分14秒台のままでは、追いつかない・・。 189ラップ目、ついに 鶴田監督から 出口選手に向け「UPサイン」が出された ! 出口選手は、それまで慎重に抑えていた走りから一変し猛烈にペースを上げていった。 薄暗闇となったサーキットを、2分11秒台で 見えない相手を追いかけまわした。 199周目に、#94がピットイン、タイヤ交換、ガソリン補給、ライダーは交代せずにコースイン。 #94がコースに戻ったその姿は、すぐに出口選手の視界に飛び込んだ。 200周目に出口選手は#94の背後、2秒差に詰め寄った。 尚もコーナーごとに差を詰め、201周目、真後ろに迫り差はなくなった。 遂に202周目の1コーナー進入で#94を交わし3位に浮上 ! 出口選手の鬼気迫る走りは続き、ラスト20分、#94ヤマハフランスと一進一退の攻防となった。 グランドスタンドから、歓声があがりサーキットに響いた。 チーム応援席からは、鶴田監督がレース前に応援席の皆様にお願いしていた 「追い上げの時はタオルを振ってください」 という言葉のとおり ずっと『緑色』のタオルが振り続けられていた。「8時間、心、重ねて」 バックマーカーの影響を受けながらも、#94、#01 の2台は別の次元でバトルを繰り広げていた。 205周目スプーン進入で出口選手は#94に交わされるも、必死で食らいついて抜きに掛かる。 残り6分を切り、尚も一進一退、サイドbyサイド、相手はわずかな残り時間にあってもタイヤ交換をしてプッシュしてきているから、手強いのは事実だった。 でも出口選手をはじめチームは誰も諦めない! このまま、最終ラップに出口選手の得意な最終コーナー シケインの進入に、全てを賭けるしかないのかと思われた。 が、次の瞬間、デグナーカーブ立ち上がりでライトを光らせ走る2台のマシンのはずが、1台 突如失速し モニターから消えた・・・ 我々のマシンのエンジンが悲鳴を上げていた・・・ この時、残りわずか3分を残して・・・ 「エヴァRT初号機トリックスター」の2012年の戦いはここで幕が下ろされた。


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